大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和30年(行)2号 判決

原告 佐々木ミツ 外八名

被告 岩手県知事

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告が昭和二十二年六月二十日付岩手い第五七三七号買収令書をもつて別紙目録(1)記載の土地についてなした買収処分、および昭和二十二年十一月二十三日付岩手は第三号買収令書をもつて同目録(2)記載の土地についてなした買収処分のいずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

一、請求の趣旨記載の別紙目録(1)(2)記載の各土地はもと原告らの先代佐々木仙助の所有であつたが、同人が昭和二十八年二月十一日死亡し、右各土地を含む右仙助の遺産の三分の一を同人の妻原告佐々木ミツが、三分の二を長女同佐々木カツ、三男同佐々木仙吉、四男同佐々木四郎、三女同池野キク、五女同川嶋ハナ、六女同佐々木キミ、七女同小野寺ユキ、八女同西出ヤスがそれぞれ平等の割合をもつて相続したので、前記各土地も原告らが承継取得し、原告らの共有となつた。

二、(一)右目録(1)の記載の土地について旧盛岡地区農地委員会は、昭和二十二年三月八日旧自作農創設特別措置法(以下旧自創法と略称する)第三条第一項第二号に該当する農地として買収計画を樹立し、同月九日その旨を公告し、同月十日より十日間書類を縦覧に供した。前記佐々木仙助は右買収計画に対し同月十七日旧自創法第七条第一項に基き同委員会に対し異議の申立をした。被告は所定の承認の手続を経た上、右買収計画に基き同年六月二十日同日付岩手い第五七三七号買収令書を発行し、同年七月二十日前記佐々木仙助にこれを交付して右土地を買収する処分をし、

(二) 右目録(2)記載の土地について同農地委員会は、昭和二十二年八月二十八日前同様買収計画を樹立し、同日その旨を公告し、同日より十日間書類を縦覧に供した。被告は所定の承認の手続を経た上、右買収計画に基き同年十一月二十三日同日付岩手は第三号買収令書を発行し、同年十二月三日前記佐々木仙助にこれを交付して右土地を買収する処分をした。

三、しかしながら被告の右各買収処分には次に述べる瑕疵がある。

即ち、

(一)  右目録(1)記載の土地について前記佐々木仙助が昭和二十二年三月十七日旧自創法第七条第一項に基き旧盛岡地区農地委員会に対してなした前記異議の申立に対する決定書の謄本の送付がまだされていない。そうすれば右佐々木仙助に対しては右異議の申立に対する決定がなかつたことになる。それにもかかわらず被告は前記の買収処分をした。したがつて右佐々木仙助は右異議の申立に対する決定に対し不服の申立をすることができなかつたから、被告の右買収処分には右佐々木仙助の旧自創法第七条に基く不服申立権を閉ざしたままなした瑕疵がある。

(二)  右目録(1)(2)記載の各土地は盛岡市の東部に位し、いずれも市道に面し、付近は市街地を形成し、この方面への市街地の発展は著しきものがある。殊に右第一目録記載の土地の一部は昭和二十一年市道編入のため盛岡市に買い上げられたものである。右のとおりであるから右各土地は近く土地使用の目的を変更するのを相当とする農地であつた。したがつて旧盛岡地区農地委員会は旧自創法第五条第五号の規定に則り、右各土地につき買収除外の指定をなすべきであつたのにこれをしないで前記各買収計画を樹立し被告は漫然右各買収計画に基き前記各買収処分をしたのである。

四、被告の前記各買収処分には以上のような瑕疵があり、この瑕疵は重大かつ明白であつて右各買収処分を無効ならしめるものである。よつて原告は被告に対しこれが無効確認を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べた。

(立証省略)

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、原告ら主張の請求原因事実中第一、二項を認める。

二、(一)同第三項の(一)は否認する。前記佐々木仙助の異議申立に対し旧盛岡地区農地委員会が昭和二十二年三月二十八日異議申立を棄却する旨の決定をなし、右決定書の謄本は同日佐々木仙助にあて郵便にて送達ずみである。

(二) 同(二)のうち原告ら主張の(1)(2)の各土地が盛岡市の東部に位し、いずれも市道に面していることは認めるが、その余の事実は否認する。右各土地は前記各買収計画樹立当時近く土地使用の目的を変更するのを相当とする農地ではなかつた。即ち右各土地付近(別紙図面の赤線で囲んだ部分)の前記各買収計画樹立当時である昭和二十二年頃までの住宅等の建物の建築状況をみれば、当時右赤線で囲んだ部分に存在した住宅等の建物は全部で三十五戸であつたが、そのうち九戸が明治および大正年間に建築されたものであり、二十戸が昭和元年より同十一年までに建築され、昭和十二年より買収計画樹立の昭和二十二年までに建築されたものが僅かに六戸にすぎない。殊に前記各土地の周辺(別紙図面の赤点線で囲んだ部分)の昭和十年以降の建物の建築状況をみれば昭和十七年に住宅一戸が、同十八年に小学校々舎が建築された外は全く変化がなかつたのである。これによつてみても右買収計画樹立当時右各土地付近が市街地として著しい発展をしつつあつたということができない。買収令書の交付当時においても同様である。もつとも買収計画樹立後右各土地付近に新しく建物が若干建築されているが、これらの大部分は買収処分後相当年数を経過した昭和二十八年以降に建築されたのであつて、買収計画当時はもとより買収令書の交付当時においてもその建築を予想できるような状況ではなかつた。以上のとおり買収計画樹立当時および買収令書の交付当時において右各土地付近が市街地を形成しているとはいえなかつたばかりでなく、近い将来において右各土地の使用の目的を変更して宅地とするのを相当とする蓋然性はなかつた。したがつて旧盛岡地区農地委員会が右各土地について買収除外の指定をしなかつたのはもとより相当であり、同委員会の買収計画に基いてなした被告の前記各買収処分には何ら原告主張のような瑕疵は存しない。

以上いずれの点においても原告らの本訴請求は失当である。

と述べた。

(立証省略)

理由

別紙目録(1)(2)記載の各土地がもと訴外佐々木仙助の所有であつたところ、昭和二十八年二月十一日同人の死亡により原告らの共有となつたこと、右各土地につきなした旧盛岡地区農地委員会の各買収計画の樹立から被告の各買収処分に至るまでの各買収手続関係、および右目録(1)記載の土地に対する右買収計画について前記佐々木仙助が昭和二十二年三月十七日同委員会に対し異議の申立をしたことは当事者間に争がない。

一、原告らは右目録(1)記載の土地について前示買収計画の異議の申立に対する決定書の謄本の送達がまだされていないのに被告が買収処分をしたのは、右異議の申立に対する決定についての不服申立権を害するものであると主張するので、まずこの点について判断する。

成立に争いのない乙第一号証の一、二、第二号証、証人八木沢梅之亟、岩根芳郎の各証言によれば、右異議の申立に対し昭和二十二年三月二十八日旧盛岡地区農地委員会が右申立を棄却する旨の決定をしたこと、その頃当時同委員会の書記であつた八木沢梅之亟が右決定書の謄本を作成し、同人がその発送方について同委員会長の承認を得、ついで当時同委員会の事務員であつた岩根芳郎が右謄本を封筒に入れ、同委員会には送達についての予算がなかつたので、盛岡市役所の発送係にその送達方の依頼をしたこと、右送達と同時に同様送達の手続をした十四、五名に対する同様決定書の謄本については当時同委員会に対しこれらの者より決定書謄本が送達されなかつた旨の申出のようなものがなかつたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。そうすれば前示佐々木仙助の異議の申立に対する決定書の謄本がその頃盛岡市役所を通じて前示委員会より右佐々木仙助に送達されたものと認定するのが相当である。原告らのこの点に関する原告らの主張は失当である。

二、よつて次の別紙目録(1)(2)記載の各土地が旧自創法第五条第五号にいわゆる近く土地使用の目的を変更するのを相当とする農地であつたかどうかについて検討する。

(一)  右(1)(2)の各土地が盛岡市の東部に位置し、いずれも市道に面していることは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第三号証の一、二、第十九号証の一、二、第二十号証の一、二、第二十一号証の一、二、検証の結果によれば右各土地は現在幅員約二間半の道路を隔てて相隣接する農地(水田)であるが、右各土地は盛岡市街の略中心にある盛岡市役所より徒歩にて約二十分で到達する位置にあり、別紙図面に表示するとおり約二間半または約四間の道路によつて整然と区画された土地の一部であり、その西南方は同市の繁華街に連らなり右(2)の土地の東側に接する道路には盛岡市内を循環する大型バスが定期に運行していて、右土地の東南角に接して右バスの停留所があること、右各土地の東側には道路を隔てて岩手大学付属中学校用地があり、その南側には同じく岩手大学付属小学校、西側には同じく県営アパートおよび公衆浴場が存在し、その北側は一部水田に接する外は既に造成された宅地に接すること、更にその周辺は東に右岩手大学付属中学校、下小路中学校分校、岩手保養院(精神病院)がある外は数町歩にわたる水田のうちに数戸の建物が点在し、盛岡市東端の東山に接していること、南および西にも水田があるが、その相当部分が宅地となつており右岩手大学付属小学校の外数十戸の建物が建在し、水田部分と宅地部分が略相半ばし、更にその外辺は盛岡市の市街地に接していること、北は既に市街地であること、右各土地付近の様相は前示各学校等を除く外の建物は大部分が住宅であり閑静であることが認められる。右認定を左右するに足る証拠がない。

(二)  次に前示(1)(2)の各土地の周辺が前示認定のような状況になつた経過については、

1  成立に争いのない甲第三号証の三、四、五、六、第六ないし第十八号証、第二十三、二十四、二十五号証によれば、訴外成瀬徳太郎、村井弥兵衛外五名が前示(1)(2)の各土地を含む盛岡市大字加賀野、同市大字新庄等約三十町歩の農地につき耕地整理の名目の下に同市において不足していた住宅地を造成しこれを分譲する目的を以て、昭和四年八月岩手県知事より加賀野耕地整理組合設立の認可を受け昭和五年春頃より工事に着手し、幅員狭隘にして不規則不統一のため利用上多大の不便のあつた従来の道路を変更廃止して新に縦横に通ずる幅員四間または二間半の道路を設け、その両側には幹線道路において幅員四尺、支線道路において幅員一尺五寸、深さ各一尺の鉄筋コンクリートの側溝を付置して将来街路となつた場合の排水の便を図つたこと、その頃右工事施行にかかる全地域が同市の水道給水区域に編入され前記新設道路の主要部分に配水鉄管が敷設されたこと、同市は昭和十三年都市計画法の適用を受け、前記耕地整理地区を含む加賀野地区一帯に街路網および建築線が設定されたこと、更に右地区一帯は昭和二十五年六月二十三日建設省告示により盛岡市の住宅地区に指定されたこと。

2  成立に争いのない甲第三号証の六、七、甲第二十五号証によれば、昭和十六年二月十八日前記村井弥兵衛が前示(1)(2)の各土地を含む前記加賀野地区耕地整理施行地域内に所有する農地につき、昭和十五年十一月二十一日勅令第七百八十一号宅地建物等価額統制令第五条第一項に基き岩手県知事に対し土地分譲価格に関する認可を申請したところ、同年三月十四日その旨認可があつたので、現況農地であるにかかわらずこれを宅地としての価格をもつて分譲することが認められていたものであること、

3  成立に争いのない甲第五号証の一、二、三、第二十三号証乙第三号証の一によれば、右村井弥兵衛らは岩手県知事に対し前記耕地整理施行地域に属する農地につき、近い将来において使用目的を変更するのを相当であるとして旧自創法第五条第五号に則り買収除外の指定をなされたき旨申請したので同知事は岩手県都市計画地区指定委員会に諮問したところ、同委員会は都市計画上右地区の一部につき買収除外の指定をなすのが相当であるとして昭和二十三年九月二十二日その旨同知事に答申したこと、よつて同知事は同年十二月十日付をもつて右加賀野耕地整理組合のなした耕地整理施行地区の一部(但し別紙目録(1)(2)記載の各土地はいずれもこれに含まれていない)にして既に買収済の農地のうち昭和二十二年十一月二十六日現在において売渡処分完了前のものにつき旧自創法施行規則第七条の二の三に則り売渡保留の決定をしたこと、以上の各事実が認められ、以上の各認定を左右するに足る証拠がない。

(三)  ところで旧自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」とは、当該農地をめぐる所有者等の主観的条件並びに土地の立地条件等の客観的諸条件に照らして、比較的近い将来において宅地等に転用される高度の蓋然性が認められかつこれが相当であると認めらるべき農地と解すべきである。

そうすれば別紙目録(1)(2)記載の各土地は、前示右各土地の立地条件、交通関係、その他周辺の土地利用の状況、これに対してなした耕地整理の目的およびその施行の実態、岩手県知事から宅地として譲渡処分することを認められてきた事実、右各土地と同様前示加賀野耕地整理組合のなした耕地整理施行地区に属する付近の農地の一部が、現に同知事により都市計画上必要ありとして売渡保留の決定がなされている事実、および戦後盛岡市においても住宅等に不自由を極めたことは甲第二十六ないし第二十九号証によるまでもなく当裁判所に顕著な事実であるから、これらの事実を綜合して考えれば、右(1)(2)の各土地が前示買収処分当時は勿論前示買収計画樹立当時において既に相当近い将来において土地使用の目的を変更することの相当の蓋然性のあつた土地であつたことが認められ、ほとんどいわゆる「近く土地使用の目的を変更するのが相当である農地」に近いものと認め得らるべきものであつたといわなければならない。即ち右各土地は市町村農地委員会が前記法条に基き都道府県農地委員会の承認を得て買収除外の指定をなすべきかどうかについてその判定を迷うところであるが、前示認定のように、土地使用目的の変更について相当の蓋然性はあつたが、高度の蓋然性はなかつたのであるから旧盛岡地区農地委員会において買収除外の指定をしないで樹立した前示各買収計画には、直ちにこの点の法条違背の瑕疵があるものということができず、したがつてこれに基く本件各買収処分もまた同様この点の瑕疵があるものということができない。

(四)  かりに前示各土地が当時結局近く使用目的変更を相当とする土地であり、前示買収計画および買収処分にこの点の瑕疵があつたものとしても、右の瑕疵が本件各買収処分を無効ならしめるためにはそれが重大かつ明白であることを要するのであるが、その瑕疵により本来買収すべからざるものを買収したことになるのであるから重大であるとは認められるとしてもそれが明白であつたかどうかについては更に検討しなければならない。そうしてこの場合明白であつたかどうかということは、前示各買収計画樹立および買収処分当時において、買収関係機関が前示(1)(2)の各土地をめぐる主観的並びに客観的諸条件に照らして、明らかに近い将来において宅地等に転用するのを相当とするものと認め得べき状況にあつたかどうかということになる。

しかるに、

1  証人工藤仁蔵の証言により成立を認め得る乙第五号証の一ないし二十八、証人太田清之助の証言に弁論の全趣旨を徴すれば、前示各買収計画樹立当時である昭和二十二年頃において、前示各土地付近である別紙図面の赤線で囲んだ部分に存在した住宅等の建物が全部で三十五戸であつたが、そのうち九戸が明治および大正年間に建築されたものであり、二十戸が昭和元年より同十一年までに建築され、昭和十二年より買収計画樹立の昭和二十二年までに建築されたものが六戸であること、殊に右各土地の周辺の別紙図面の赤点線で囲んだ部分においては、昭和十七年に住宅一戸が、同十八年に小学校の校舎が各建築された外は昭和十年以降全く変化がなかつたこと、

2  撮影の日時場所について争いのない甲第四号証、成立に争いのない乙第三号証の四、第四号証、証人太田清之助、工藤仁蔵の各証言によれば、右各土地付近が昭和二十二年当時は概ね水田地帯であつて、その間に前記小学校等三十五戸の建物が散在していたものであつて、当時右各土地の近辺にはりんご園、なし畑があり、住宅地として今日の如き発展を遂げたのは昭和二十六、七年以降のことに属し、前記岩手大学付属中学校および県営アパートが建築されたのはいずれも昭和二十八年頃であつて、前記バス路線の開通されたのも昭和二十九年に至つてのことであること、

3  証人太田清之助の証言によれば、右各土地は同人が昭和六年頃から前示各買収計画樹立当時まで引きつづき小作して耕作していたものであつて、同人は専業農家であり、右各土地を宅地化する等のことは全然考えていなかつたこと、

以上の各事実が認められ、右各認定を左右するに足る証拠がない。

そうすれば右各土地付近における本件各買収に至るまでの建物の建築状況が必ずしも急速でなかつた事実、本件各買収処分当時における右各土地の周辺の土地利用の状況が農業を主としていたものである事実、右各土地の耕作者太田清之助は長きにわたつて耕作を継続したものでありこれが宅地化等のことは予想していなかつた事実等を考え合せると、前示各買収計画樹立当時においてはもとより前示各買収処分当時においても、とうてい、近い将来において右各土地を宅地等に転用することが客観的に明白に是認することのできる状況にあつたものということができないといわなければならない。

(五)  結局本件各買収処分はかりに前述の瑕疵があつたとしても、以上述べたとおり明白であつたということができないのであるから、本件各買収処分を無効ならしめる瑕疵には該当しない。

以上述べたとおり、本件各買収処分は無効であるということができないので、これが無効確認を求める原告らの本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 佐藤幸太郎 梅村義治)

(別紙省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例